こんにちは!Cocoです。
今回は2つの元素そして
現在の科学の発展に大きな影響をもたらしたキュリー夫人を
フォーカスしていきたいと思います。
皆さんもキュリー夫人のお名前は聞いたことがありますよね?
どんな元素を発明したのかは、学校で聞いたことのあるお名前
とんでもなく強い女性です!
今回はキュリー夫人が女性科学者としてノーベル賞を2度受賞された功績と
発見された元素についても調査していきたいと思います。
キュリー夫人のプロフィールは?
それではまず最初にキュリー夫人の
プロフィールをまとめていきましょう。
1867年 ポーランドの首都ワルシャワで生まれる。
父はヴワディスワフは中学で数学と物理の教師
母はブロニスワバは、小学校の校長をしていた教育一家
彼の家庭で5人兄弟の末っ子として生まれたキュリー夫人
幼い頃から記憶力が抜群で
勝手に覚えてしまうこともしばしばあったそうで
周りの大人をびっくりさせていたそうです。
科学者としての考え方とは?
もともとキュリー夫人が科学に興味を持ったのは
父の影響が強かったとのこと
幼い頃は父の書斎で過ごす時間が多く
科学に使う実験道具や鉱石なども身近なものだったそうです。
科学者としての考え方は、生まれ育ったポーランドが
当時ロシアの支配下にあったことで
ポーランド人としての誇りを心の奥にしまったまま
ロシア人としての教育を受けてきたことで
自分が有名になることでポーランドに功績を残したい
この愛国心が科学者として生きていく根底にありました。
キュリー夫人は、ポーランド人としての生き方や考え方を強く貫いてきました。
科学で壊されたものは科学で救う
この強い信念が科学者として活躍されたキュリー夫人を支えていたと思います。
1941年パリにラジオは研究所を作られ所長となりますが
エックス線の機械を自動車に積み
戦争で傷ついた人たちを診察するなど
科学で破壊されたものは科学で救うことを常に科学者として
考えていました。
放射線は医療に役に立つのではないかという疑問が
キュリー夫人の科学者としての考え方の基本になっていると思います。
研究内容とは?
キュリー夫人の研究内容は、ご自身も家庭教師の住み込みをしながら
貯めたお金で姉のブローニャをパリの大学へ送り、ご本人もパリのソルボンヌ大学へ
キュリー夫人は、お姉さんの学費を家庭教師代で
払って家計を助けていたんですって!
大学時代にも研究を続けますが
大学を卒業してから奨学金でさらに科学の勉強を続けていました。
そこで大学からピエールキュリー先生のお手伝いを頼まれ
二人は共に研究を重ねていきます。
元々ピエゾ効果やキュリー温度を発明して
ピエールキュリー先生と結婚し、さらに2人で昼は物理化学を学び
夜は夫婦で磁石の研究などを続けていきました。
科学で結ばれた素敵なキュリーご夫妻♡
功績とは?
次に、キュリー夫人の功績をまとめていきますね。
キュリー夫人が有名になった功績の一つに
ベクレルが発見したウランの元素が発する光についての論文に、
非常に興味を持ったキュリー夫人
ウランやトリウムからも出ている能力を放射能の名前もつけ
発見するために日夜研究を続けます。
このベクレルが発見したウランを観察した時に
夫ピエールが作った計測器が役立ち、
さらに放射線を出していることがあきらめずに研究は続けます。
ウランやトリウムのような放射能を持つ元素は放射性元素と呼ぶこと
ウランを取り除いた後のピッチブレンドから強い放射能のあると
いうことに気づき
ピッチブレンドの成分がわかっていてもさらにどのぐらいの放射能が観測されるのか?
常に疑問を持ち続けるキュリー夫人
キュリー夫人は、さらに研究を重ね元素ポロニウムを取り出すことに成功しました。
ポーランドにちなんでつけられました。
ポロニウムを取り出した後もさらに
強い放射能があることに気づいた二人は
この元素をラジウムと名付け
気の遠くなるような作業を続け、3年以上かかりラジウムを発見していきます。
ポロニウムとラジウムを発見したキュリー夫人は
1903年6月35歳で放射性物質に関する研究の論文で理学博士号をとり
女性で初めてパリのソルボンヌ大学の教授になります。
レントゲンや CT スキャン注射器などの医療用具殺菌や治療などにも使われています。
キュリー夫人が科学者としての信念を持っていた
科学は医療のためになるのかということが
100年以上たった現在も人々の役に立っていますね
キュリー夫人まとめ
今回はノーベル賞2回受賞した女性キュリー夫人についてまとめてみました。
2人の女の子に恵まれました。
キュリー夫人の長女エレーヌは科学者となりさらに
科学者のフレデリックジョリオと結婚されます。
現在私たちがキュリー夫人の生活について知ることができるのは
次女エーブが母マリーキュリーの人生を伝記として残してくれていたからです。
母を肺結核で幼くして亡くし、一番上の姉もチフスで亡くなり
心に寂しさを抱えたキュリー夫人は強くて優しい方です。
キュリー夫人の功績はこれからも続いていくでしょう。
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